こんにちは!くうたです!
今回は両親へ、カミングアウトをした時のことを2記事に分けて書いていこうと思います。
カミングアウトしたタイミングやその時の両親の反応など
需要はないかもしれませんが、両親への感謝も込めて記録として書いていこうと思います。
まずこの記事では母へのカミングアウトについて書いていきます。
前提として、僕は、カミングアウトした当時も含め、生まれてからこれまで
両親にやりたいことも、生き方も否定されたこともなく、
やりたいことは全てやらしてもらい、大切に育てられました。
だからこそ、カミングアウトするときに
「否定されるかもしれない」という不安は1mmもありませんでした。
僕の生き方を否定は絶対にしないだろうし、受けて入れてくれるだろうし、支えてくれるという確信もありました。
でも、だからこそ、僕には見えないところで
本当は「悲しむかもしれない」「傷つくかもしれない」「心配させるかもしれない」。
こんなに大切にしてくれてる両親だからこそ僕の生き方を理解しようと、
応援しようと、「無理をさせるかもしれない」という怖さがありました。
母へのカミングアウト
いつカミングアウトしたの?
僕が高校1年生だった頃、新しくできた彼女のことを今までにないくらい大好きだったこともあり、親に紹介したい。
とはずっと思っていました。また、戸籍上の性別変更に向けての治療も考えていたたため、そのことも含め、
自分のことを早く伝えたいと思っていましたが、やはり勇気がなく中々言えずにいました。
そういった精神状態の中、母へのカミングアウトは喧嘩からの「勢い」というものが強かったです。
当時はまだ、FTMの男性が精子提供で授かった子供を戸籍上の子供として認められない時代でした。
そのことで署名活動をしているFTM当事者の方と知り合い、
それに対する署名を僕もしたくて母に印鑑の場所を聞いたことが喧嘩の原因です。
印鑑ってどこにある?
印鑑、何に使うの?
カミングアウトしてないし
理由は言いずらいな、、
なんでもいいじゃん
普段ほとんど怒ることのない母ですが、
印鑑はそんな簡単に押すものじゃないよ。大事な時に使う証明なんだから簡単に判を押したら取り返しがつかないことになったりもするんだよ
と怒られました。
あーいちいちうるせー
もういいわ
こんな感じですね。
今思えば状況を知らない母親の当然のセリフだとわかりますが、
当時の僕はそんなことも知らず、逆ギレして珍しく喧嘩のような状況になりました。
僕は自分の部屋で色々考え、母と喧嘩した気持ちのままの勢いもあり、
印鑑を使いたい理由と一緒にカミングアウトしてしまおう。
と咄嗟に思いました。その時がカミングアウトしたタイミングです。
カミングアウトの手段
ただ、カミングアウトする。と咄嗟に決めたものの、
直接言葉にする勇気がなく、自分の部屋から、寝室にいる母へ、メールを送りました。
・自分の性自認が男であること。
・今後、治療もしていくつもりであること。
・印鑑を使いたい理由は、僕のような人間が現状子供を作っても父親になれない状況にあり、それは嫌だからそれに対する署名活動をしている人に協力したいということ。
・大事な彼女がいること。
長文でメールを打って、送信した後、なぜか自然と涙が出てきて部屋で号泣してしまいました。
カミングアウト後の母の反応
喧嘩の最中でしたが、泣いている僕の声を聞いてか、メールを読んだ後の母がすぐに部屋にきました。
どうした?なんで泣いてる?、、大丈夫大丈夫、いいよいいよ。言うの怖かったね
そう言って抱きしめてくれたのを今でも鮮明に覚えています。
そのまま僕の部屋で、今後の治療のことや、FTMという言葉の意味などを2~3時間かけて沢山話しました。
ホルモン注射ってものは体に悪くないの?
本当に、今だけの思いとかではないんだね?
などと、心配はしながらも否定をすることはなくひたすら話を聞いてくれました。
母は母なりに、もしかしたら驚きやショックがあったかもしれません。
でもそれを僕には一切見せることなく、泣いている僕を第一に考えてくれました。
おわりに
これが、僕の高校1年生の時にした、母へのカミングアウトエピソードです。
ここから高校3年間、母へは沢山相談し、協力してもらいました。
父親へのカミングアウトはここから約3年後の大学1年生の頃まで間が空いてしまうのですが
次の記事で父へのカミングアウトエピソードも書いていこうと思います。